高島秋帆の足跡をたどりました
東京長崎文化財さるくの第1回として、西洋砲術鉄砲隊保存会、長崎伝習所(渋谷・長崎歴史文化情報発信塾)、板橋区郷土資料館の皆様の協力で高島秋帆の足跡をたどってきました。
秋帆菩提寺の「大圓寺」のある都営三田線「白山駅」に、中村・堀田副支部長含め保存会、伝習所の皆様含めて10名の方にお集まり頂き、先ずは、国指定史跡の秋帆のお墓にお参りしました。太平洋戦争の東京空襲で残念ながら墓石は黒く煤け、髙の字しか判明できませんが、周辺には秋帆ゆかりの方の墓石も並んでいます。
墓参を済ませ「高島平駅」まで移動し、徳丸原遺跡碑のある徳丸が原公園に向かいます。徳丸が原では、1841年5月8,9日に秋帆による西洋式砲術調練が行われています。ちなみに、昭和40年代に住宅公団による大規模開発にあたって名称を「高島平」にしたのは、この調練の実施にちなんで付けられました。高島平の各学校は、今でも調練のあった5月9日は開校記念日となっており、校章は高島家の家紋をデザインに取り込んでいるとの事でした。
調練に際して本陣となったのが「松月院」です。松月院は、1492年に戦国武将千葉自胤(ちばよりたね)の寺領寄進による中興した曹洞宗の寺院で、江戸時代は、将軍家から寺領40石を与えられた朱印寺として代々将軍家より拝領した御朱印状が現存しています。ここでは、秋帆の遺徳を顕彰して「火技中興洋兵開祖」の碑が建立されています。また、寺院の宝物館「松宝館」には、調練を描いた図画や、その時使用した実際の火器、秋帆自筆の書画が収納されています。
板橋区郷土資料館では、徳丸原での西洋式砲術調練にちなむ一般展示に加え、普段入れない資料室で、学芸員の方に発掘したチモール砲の砲弾や、それを装填する時使用する木製の台や、それを模した杯、高島流西洋砲術や火薬製造の指南書(免許皆伝時に送った物)、火縄銃やゲベール銃(フリント発火)やスナイドル銃(手元装填式)の実物を触らせて頂きました。
改めて、長崎から発信された文化財、人材に思いを馳せる一日となりました。
ご対応頂いた関係者の皆様に、厚く御礼申し上げます。特に保存会会長の勝田様には、終始丁寧にわかりやすくご説明頂き有り難うございました。











